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 信立寺は、山号を廣教山と称し、16世紀の初め、甲斐の戦国大名武田信虎が、境内一万坪を寄進して建立しました。

 本尊は、鎌倉時代の中頃、八代郡夏目原の地中より出現したものと伝えられています。

​ 昔、建長年間(1249-55)八代郡夏目原の地に古い林があり、その地中から夜ごとにあやしい光明がはなたれていました。

 初めは近寄らなかった里人たちも、あまりの不思議さに、相談をしてその地を掘ってみると、地下3メートルほどの所から一つの仏像が出現したのでした。

 地中にあったため箔などは落ちていましたが、どこも破損しておらず、顔かたちのすばらしい霊像でありました。

 そして里人たちは、非常に珍しい事であると付近に小さなお堂を建て、この霊像を安置したのでした。

『甲陽信立寺縁起』

本尊の由来

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