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開山日伝上人は、宝聚院と号し、身延山第12代 日意上人とともに、第11代 日朝上人の高弟であり日朝・日意上人の3代にわたって身延山 上古の中興三師と仰がれます。
日伝上人は、文明14(1482)年に生まれ、日朝上人の弟子となり、永正16(1519)年、法兄 日意上人の遷化により身延山第13世の坐につきました。時に御年38歳。
こうして身延山にあること25年、祖師堂を再建し、四方に教化し、小田原の玉伝寺、名古屋の大光寺など多くの新寺を建立しました。そして、信立寺の開闢は、身延山の法燈をついでより10年後の時でした。
『古縁起』によると心中 信虎は
「われ今度、法華の霊徳・信心浅からず、しかれどもわが家もとより禅宗たり、いま我わたくしをもって宗門改めがたし、これによりていま信心・帰依のしるしに百日の間、法華宗たるべし。その上、城下に一宇を建立し奉るべし」
とあり、信虎の法華宗への帰依はこれによると、わずか百日に過ぎませんでしたが、代々禅宗の武田氏に日蓮宗の寺院を建立させた事実は、前述の由来が偶然ではないことの証と言えるでしょう。
信虎公草創の縁由4
日伝上人と信虎公
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