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徳川家康は、甲斐統治の中心として、一条小山の地に新城を築くよう、城代 平岩親吉に命じました。
親吉は天正(1583)11年、地鎮祭、縄張に着手しましたが大阪城の新築や、小牧・長久手の戦い、駿府城の工事などのため中断され、さらには天正18年、家康自身が関東に移封となり、工事は進みませんでした。
次に、甲斐の領主 羽柴秀勝・加藤光泰・浅野長政・幸長らによって築城は続けられ、再度甲斐を領した家康の城代 平岩親吉により完成しました。
完成までの間、なかでも浅野長政は築城に尽力し、古府の民家・寺社を城下に移転させるなど、現在の甲府城下町の基礎づくりに貢献しています。
浅野幸長の文書によると、慶長4年以前には現在の地に移転しており、文禄年中(1592-96)に穴山小路より現在の地に移転したようであります。
築城と移転
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